お彼岸・桃燐舎文辰の歌によせて

 9月はお彼岸「暑さ寒さも彼岸まで」と、今年の猛暑も、この頃になると和らいでくれるでしょうか。彼岸は、季節の移ろいを感じながら、先祖の墓参りをする頃です。

 実家の菩提寺・大心寺に、江戸時代後期の狂歌師・桃燐舎文辰の両親の墓があります。側面には、文辰が母の別れに思いを込めて詠んだ「乳をのみし 母の別れにしぼりだす 涙よせめてむくひとなれ」の歌が刻まれています。親が子を思う愛は無限で深いものですが、また子が親を思うこころの深さに、こころ打たれます。

 狂歌は、もとは和歌の一種でしたが、江戸時代、太平の世になると、真面目な題材もあえてこっけいに表現し、そこに笑いを生み出すところに面白さがあり、庶民の間で読まれてきました。文辰は、本姓平野氏、大阪堺の人といわれ、天明年間(1781~89)に祖父文吉に連れられ、来府、竹商か竹細工を職業としたのか竹屋利兵衛といい、清貧の生活のなかで、狂歌・俳諧をたしなみ、武生や近郷に多くの門人を抱え、越前の狂歌界の全盛を成し遂げ、天保6年(1835)1月6日武生の地で62歳の生涯を終えています。彼の書き残したものに「掃溜集」があり、昭和34年には、文辰両親の墓の左側には、記念碑、総高1.6m 自然石が建てられています。

(正面)「掃けど猶(なほ)つきぬ落葉に箒(ほうき)まで坊主となれる山寺の庭  文辰 」

(裏面) 昭和34年11月3日 花の坊蘿水(らすい)書